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2016年11月5日土曜日

儚くも無生野に散った雛鶴姫

みなさんは雛鶴姫(ひなつるひめ)の言い伝えをご存知でしょうか?
松姫の言い伝え照手姫の言い伝えに続いて、
雛鶴姫の哀しい物語をお話したいと思います。
どうもどらは、お姫様の言い伝えに興味があるようです^^;

場所は相模原市秋山の無生野、時は鎌倉時代から室町時代に移るころ。
中世代の乱と言う事件が起こりました。
鎌倉に幽閉されていた護良親王(大塔宮ともいう/父は後醍醐天皇)は、その時(1335年)に鎌倉の牢で殺害されました。
そして、ここから雛鶴姫の悲劇が始まるのです。

写真出展:雛鶴神社の雛鶴姫の像http://blogs.yahoo.co.jp/minako_action/9415792.html

雛鶴姫は、護良親王の寵愛の側室です。
親王殺害の報を受け、従者と共にその首級を取り返しに鎌倉に潜入。
そして無事取り返した後、鎌倉を脱出して京へ向かいます。
実は、雛鶴姫は護良親王の子供を宿していたのでした。

秋山村まで逃げた雛鶴姫は、そこで急に産気づきます。
近くの村人たちに宿を乞いますが、村人たちは幕府の追求を恐れて
誰も手助けしてくれませんでした。
そしてとうとう、秋山の無生野という所で寒空の下、男子を産みました。
諸説あるのですが、母と子はそこで亡くなります。
※母だけ亡くなったという説もあり

無生野という地名、意味深ですね。
当時は、無常野とか無情野とか名づけられたそうです。
場所は、左記の地図を参考にしてください。
倉岳山、秋山二十六夜山へ登る登山口が近くにあります。


現在はJR上野原駅から、無生野行のバスが出ていますね。
近くには、雛鶴神社、雛鶴峠があります。
あまり人が歩かないマイナーコースですが、
歴史の道を歩くのも一興です。
そのうち、計画しようかな…

最後に2015年4月、護良親王を祀る鎌倉宮(明治天皇が建てた)と
雛鶴神社が兼務社として認定されました。
実に680年の時を経て、二人は結ばれたのでした^^

(おしまい)