Translate/言語翻訳

お知らせ

第2回多摩地区16市囲碁団体戦の開催が決まりました。
日時: 2018年8月19日(日)
場所: 国分寺労政会館 詳細はこちらへ

2016年2月5日金曜日

松姫峠.哀しき戦国ラブストーリー

みなさんは松姫峠、ご存知ですか?
この峠には、戦国時代の哀しい話が残っています。
実は、どらは日本史(特に戦国時代)が大好きで、
この峠の名前を見た瞬間に、ある女性を思い起こしました。
今回の記事は、日本版ロミオとジュリエットと言われる
悲恋の女性にまつわる話をしたいと思います。

そもそも松姫って誰?
現在、NHKでは大河ドラマ「真田丸」を放映していますね。
時代背景は、ほぼ同じ時代です。
ドラマのストーリーに登場するかどうかは不明ですが、
放映されている物語の裏では、
松姫の物語が同時進行していることになります。

松姫というのは武田信玄の五女(?)で、あの織田信長の嫡男である
織田信忠と婚約していました。
松姫(7歳)、信忠(11歳)の婚約だったそうです。
文献上でも、かなりの美人だったそうですね^^
信忠との婚約後、「新館御寮人」と呼ばれていたそうですが、
武田家では、美人の姫に「○○御寮人」と呼ぶ習慣があったそうな。
そういえば、美人と言われていた信玄の側室で武田勝頼の母親も
「諏訪御寮人」と呼ばれていたそうです。

織田・武田が仲たがいする前は、松姫は婚約者の信忠と手紙を
頻繁に交わしていたそうです。
少し前の世代だと文通^^ 現在だとメールですかね^^
要は遠距離恋愛だったわけです。
二人は一度も顔を合わせていないと言われていますが、
一説では、会ったことがあるのでは・・・とも言われています。
信忠の行動不明期間、武田家滅亡後の行動(かなり探したようです)、
松姫自身の行動から、それなりに説得力はあるみたいです。

大河ドラマでは、第1回放送で勝頼が自刃(切腹)しました。
戦国最強と言われた大名が滅びた瞬間です。
実はこの時から、松姫峠の話が始まると言っていいでしょう。
2015年7月11日撮影
大菩薩峠
松姫は、武田家滅亡後、織田・徳川連合軍の
追っ手から逃れるため、
次のルート(諸説あり)を逃げたとされています。
塩山→大菩薩峠→小菅→松姫峠→鶴峠
→和田峠→八王子恩方
山登りに関係する地名がいっぱいですね^^
皆さんなら、行ったことがある地名が
いっぱいでは(笑)
2013年1月6日撮影
八王子城址の登山口
さて、松姫は3人の幼子(姫)を連れてこのルートを逃走し、後の八王子城主北条氏照の擁護の元、金照庵で幼子を育てたそうです。
武田を滅ぼした総大将は慕っていた織田信忠です。切ないですね~
もし3人の幼子(親戚と家来の子)がいなかったら、自害したのでは?と思うんですよね。


その後信忠は松姫生存の報を受け、妻に迎えたいと八王子の松姫に
使者を出すんですよ、それも正室として・・・ (ヨカッタ)
信長から家督を受け継いだ後も、信忠が正室を迎えていなかったのは、
当時としては異例ですね。
滅びた家の娘との結婚に政略的な意味合いはありませんので、
本当に相思相愛だったんでしょうね^^
しかし松姫が信忠のもとへ向かう途中、またまた悲劇が起こります。
そう、みなさんもご存知の本能寺の変が起こりました。
織田信長とともに、信忠も妙覚寺で死んでしまいます。
想像ですが、松姫も最初は憎しみと恋心の狭間で悩んだと思います。
そしてそれを乗り越えて、信忠の元へ行く決心をしたのでしょう。
それがまた、事態が一転してしまったわけです。
まるで、ドラマのようなストーリーですね;;

その後、松姫は数々の縁談を断り続けます。
やはり信忠への愛を貫いていきます。
そして間もなく、心源院で出家します。
名前は信松尼となりました。
信の一文字は、信忠からと想像するのはロマンチック過ぎる?
信忠を待つ尼」とも読めますし・・・
信と松の字が並んでいることが、松姫の心情を物語っていますね;;

松姫は、八王子の住民からも慕われていたようで、
56歳で安らかな最後を迎えました。
3人の姫達は、病弱の一人を除いて、無事嫁いで行ったとのこと。
なお、松姫が最後に過ごしたとされる信松院は、現在も残っています。

松姫一行が歩いたと思われるルート
ということで、松姫峠がからむ山行計画考え中。
左図は松姫想定ルートです。
どらはまだ松姫峠周辺は歩いていないので、松姫と近いコースを辿るなら、
小菅の湯~山沢入りのヌタ~鶴寝山~奈良倉山(秀麗富嶽12景)~鶴峠BS
(歩行時間6時間)
逆回りだと、歩行時間4時間30分ですね^^


アクセスは、JR中央線「上野原駅」からがいいかな^^b
まあ、暖かくなったらですが・・・

(おしまい)