豊臣秀吉の最後の戦い「小田原決戦」
一夜城として有名な石垣山へ行きました。
秀吉がこの場所を本陣とした気持ちがわかります。
小田原城丸見えで、威嚇効果が高かったでしょうね。
北条の兵士は、モチベーションが下がったことでしょう。
小田原決戦の経緯
歴史好きな方はご存知だと思いますが、面白い話ですよ。
秀吉の上洛の命に従わない関東最大の大名、北条氏政。
氏政にとっては、成り上がりの秀吉なにするものぞ!と言う気持ちと、
あの上杉謙信・武田信玄でさえ落とせなかった鉄壁の「小田原城」がある!
そんな気持ちだったんでしょうねぇ。
小田原城が丸見え |
頂上の本丸跡 |
二の丸跡 |
二の丸から本丸を見る |
しかし、城攻め名手の秀吉の攻撃は規模が違いました。
規模:西日本、中部、北陸、関東の大名を連合しての20万超規模の軍団
戦略:北条方の支城を落とし、海側も水軍が押さえる
要は、小田原城の周囲を完全包囲しての長期戦。
無理に攻める気はさらさらない模様。
この状態で石垣山の一夜城を作ります。
山の頂上に密かに(と言っても上層部にはばれていたでしょうが…)城づくり。
出来上がったところで、周りの木を伐採。
確かに北条の下っ端兵士には、朝起きたら突然城があった…の状態ですね。
しかも配下の大名たちの奥さんも呼んでの悠々自適の戦い方。
連日の宴・茶会などなど…
要は、城方に対しての「何年でもいいですよ」という心理的威嚇です。
これでは、名門北条家も降伏するしかなかったでしょうね。
八王子城の悲劇
小田原決戦では、たくさんの逸話が残されています。
そんな中で山と関係するとすれば、八王子城の悲劇が有名です。
北高尾の八王子城ですね。
城主の北条氏照は、氏政と一緒に小田原城に籠るのですが、
残された家臣と一族は、八王子城で秀吉軍を迎え撃ちます。
多勢に無勢で全滅するのですが、ここに壮絶な逸話が残されています。
そんな歴史のせいで、心霊スポットにもなっています。
※詳しくは八王子城の案内で
八王子城本丸跡 2016年2月撮影 |
一夜城ヨロイヅカファーム
まったく知らなかったのですが、
亡くなった「川島なおみ」さんの旦那さんのお店がありました。
駐車場にたくさんの車が止まっていたのですが、
観光客のお目当ては石垣山ではなく、こちらみたいでした。
一夜城ヨロイヅカファーム |
こんな木像がいっぱいありました |
(おしまい)